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古代ギリシャの神殿を模したマドレーヌ寺院。
コリント式の高さ30mの柱を52本並べた迫力のある外観。入り口の階段は、年中手入れがされた花々が綺麗に咲いています。サントノーレ通りとロワイヤル通りの交差点からすぐのところに位置しています。
完成までに85年を要したマドレーヌ寺院の歴史
教会は完成するまでに様々な歴史の変遷があり、18世紀の後半から19世紀の初めまでの85年を要しました。
ルイ15世時代
当初は1763年に最初の礎石を置き、ラテン十字形でドームがのったパンテオンのような建物に設計されていたようです。1789年のフランス革命以降、建設工事は中止に。
ナポレオン帝政時代
彼は祖国フランスの為に戦った兵士の栄光を讃える大神殿を建てる事にします。80人もの建築家が参加したコンクールでは古代ローマ・ギリシャから発想を得た神殿の形にてプランを作ったアレキサンドレ・ヴィニョンのプランが人々の注目を集めます。しかし1812年のロシア遠征後、ナポレオンは神殿の計画を辞めます。
王政復古時代のルイ18世
ルイ16世と王妃マリー・アントワネットのために贖罪の教会を建てようと思いつきます。
ルイ・フィリップ時代
この時代にやっとナポレオン帝政時代のコンクールで選ばれていたヴィニョンプランで教会は完成することになります。フランス兵士を讃えるための神殿として建設されたため、教会らしい形をしておらず、窓もありません。
とても重厚な雰囲気です。
聖マリーマドレーヌ像
主祭壇に導く大理石の階段の上にはシャルル・マロシェチィ(1805-1867)による2人の天使に囲まれた聖マリーマドレーヌの大理石の豪華な像があります。この彫刻の制作に22年かかったそうです。
聖堂の後陣中央のモザイク
シャルル・ジョセフ・ラメール(1832-1910)によるモザイクがあります。キリストの右隣に聖マリーマドレーヌ。左隣にはマルタとラザロがいます。
モザイクの上の丸天井画
ジュレ・クロード・ジェクレール(1804-1856)によるローマカトリック教についてのフレスコ画が描かれています。
- 上の方:キリストが聖マリーマドレーヌを天に迎え入れています。
- 下の方:教皇ピオ7世※とナポレオンが描かれています。
※ピオ7世はナポレオンと1801年に政教条約(コンコルダート)を成立させ、フランス革命以来断絶されていてフランス政府とカトリック教会の関係を公式に修復しました。その後1804年のナポレオンの戴冠式に招かれています。ルーヴル美術館にある「ナポレオン一世の戴冠式と皇妃ジョゼフィーヌの戴冠」の絵で彼のすぐ後ろに座っている人物です。
しかし、政府が教会を支配してナポレオンが教皇の権威を政治的に利用していることを知り、2人の関係は悪化。教皇がナポレオンを破門したことによりナポレオンは教皇をサヴォーナに監禁します。教皇は彼の退位後にようやくローマへ戻る事ができました。
ジェームズ・バージェ(1794-1852)による聖母マリアと聖ヨセフの結婚の像
マドレーヌ寺院
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