バスティーユ広場のまわりはとても賑わっており、沢山の人で賑わっています。フランス革命のきっかけともなったバスティーユ襲撃は世界史でも習ったことでしょうし、漫画「ベルサイユのばら」ではオスカルが戦う名シーンとして涙した方も沢山いらっしゃることでしょう。
現在広場はリノベーションを行っており、今年春から歩行者用の広場スペースが出来あがります!バスティーユ広場の歴史と共にご紹介致します。
バスティーユ広場とは?
バスティーユ広場とは、パリ中心部の東の方に位置している広場で4区、11区、12区にまたがっています。フランス語でPlace de la Bastilleといいます。メトロの駅、「バスティーユ」の目の前にある広場です。
マップの下にはアルスナル港が見えています。ここからサンマルタン運河が地下に入ってレパブリック広場の先でまた地上に出ます。
すぐ近くにオペラ・バスティーユもあります。バスティーユ広場から続くロケット通りは沢山のバーやレストラン、お店が並ぶ繁華街です。
バスティーユ広場の歴史
1789年7月14日のフランス革命を語る上で外せないのが、ここ、バスティーユ。フランス革命の始まりとも言われている、7月14日のバスティーユ襲撃事件が発生しました。ここには当時バスティーユ牢獄があり、火薬庫になっていました。この襲撃をきっかけに全国に広がっていったのでした。
バスティーユ広場のオブジェは何?
広場中央には1本のコラムが建っています。こちらは1830年に起きた「フランス7月革命」を記念するオブジェであり、1789年のフランス革命のものではないのです。
1830年7月27日〜29日の3日間に起きたのが「フランス7月革命」という市民革命です。
ナポレオン没落後(1814年)に王政復古で復活したブルボン朝が、1830年に再び市民により倒されました。その後、ブルジョワジーであったオルレアン公ルイ・フィリップが王位に就きました。
ウジェーヌ・ドラクロワの「民衆を導く自由の女神」は、この「フランス7月革命」の市街戦を題材として描かれたものです。
バスティーユ広場のまわりの治安
バスティーユ広場から出ているロケット通りは夜遅くまで人々の歩行の多い繁華街です。
小綺麗な通りというわけではなく、ごちゃごちゃしていて、活気があります。少し下町っぽい雰囲気です。沢山の若者たちも夜に繰り出します。夜に運行しているナイトバスもバスティーユから出ていますし、大通りは車の通行も多いため、夜遅くでも人通りがあります。
常にどこにでもいるスリ対策、注意をしっかりと行っておくことと、誰もいなそうな細い通りを夜は避けて通れば特に問題ありません。
バスティーユ広場のリノベーション
こちらがバスティーユ広場のリノベーション計画予定の図です。右下の黄色い囲み内が以前の様子です。
交差点の真ん中に浮島のようにあったコラムのある場所が、サンマルタン運河側の道路と繋がって大きなスペースとなり、歩行者用通路に生まれ変わります!
また、広場内へ渡ることのできる横断歩道もいくつか作られます。緑も増え、広場は公園のよう、気持ちが良さそうです。
サンマルタン運河への通りには階段で降りることができるようになります!とても素敵な市民憩いの広場になりそうですね!
2020年3月にはリノベーション工事が完了する予定のようです。生まれ変わるバスティーユ広場、どのようになるのか楽しみです!