ルーヴル美術館 Musée du Louvre
ルーヴル美術館の膨大なコレクション
世界最大級の美術館であるルーヴル美術館。約38万点以上の収蔵品があり、展示場の総面積は60,600㎡以上、全長約16kmにも及ぶ通路に3万5000点以上の美術品が展示されているそうです。1年に訪れる観光客は約1000万人!美術館では、中世から1848年までの西洋美術や様々な古代文明と出会うことができます。そのコレクションは、古代オリエント美術、古代エジプト美術、古代ギリシャ美術、古代ローマ美術、古代イタリア・エルトリア美術、オリエント・エジプト美術、イスラム美術、ヨーロッパの彫刻・絵画、工芸品、装飾美術、版画、アフリカ・アジア・オセアニアの先住民美術など多岐にわたります。
Louvre
ルーヴル宮殿の起源は?
美術館を擁する大宮殿の起源は12世紀末まで遡ります。カペー朝第7代のフィリップ2世の治世下1190年頃に、防御・戦闘を目的とする要塞が建設されました。その後1200年から革新的な建築家たちが建築と増築に携わっています。シャルル5世(在位1364年〜1380年)以降、ルーヴルは歴代の君主の居城となり、君主の好みと当時の流行に合わせて宮殿は多くの改装・拡張工事を経てきました。長年にわたって権力の中枢となったこの王宮は、様々な歴史の舞台に関わる重要な宮殿となりました。
ルーヴル宮殿から美術館に
フランス革命下にルーヴル宮殿は一般に開かれた美術館となりました。1792年8月10日、ルイ16世が投獄され王政が崩壊したことにより王室コレクション、亡命貴族や教会の所蔵品が国有化され、文化省の主要国家機関となっていたルーヴル宮に移管されました。そして1793年8月10日、共和国成立1周年記念日に中央美術博物館として開館しました。その後も戦利品としてナポレオンが各国から集めたコレクションが増えていきます。1815年にナポレオンが失脚し略奪した美術品の多くは持ち去られもしています。
サモトラケのニケは1884年に美術館に展示されました。
一般に公開される前にも、太陽王ルイ14世の治世では王の居城をベルサイユ宮殿に移していたため、ルーヴル宮殿内では芸術と学問のサロンがアカデミー会員に開かれていました。許可を得た芸術家や美術愛好家達の間でグランドギャラリーやサロンを利用して展覧会が行われていました。既にこの頃には美術館的な活動が行われていたということです。
ルーヴル宮殿内が全て美術館となったのは、1983年の当時のフランス大統領ミッテランが推進した「パリ大改造計画 」の一環である「大ルーヴル計画」の際です。ルーヴル宮の北翼を占めていた大蔵省が移転し、全体が美術館となりました。
ルーヴル美術館の形
1874年頃までには現在の形となったルーヴル。ルーヴル宮殿はほぼ正方形です。建物の中には中庭 (Cour Carrée)があり、 ピラミッドのあるナポレオン広場 (Cour Napoléon) に面している建物が最古の建築物シュリー翼 (Aile Sully)です。ナポレオン広場の北、パレ・ロワイヤル側に位置するのはリシュリュー翼 (Aile Richelieu) 、セーヌ川沿いに位置するのはドゥノン翼 (Aile Denon) で、それぞれ美術館の入り口となっています。
ガラスのピラミッドはフランス革命200年祭の1989年にナポレオン広場に出来上がり、この3つの地下玄関も1988年10月15日に完成しました。1993年にはカルーゼル・ショッピング・モールが地下に完成、地下からの入口を整備したおかげで観光客の入場待ちの混雑も解消され、とても快適になっています。
下記の写真は1900年に撮影されたルーヴル美術館の上空からのもの、それと現在のグーグルマップでの画像を並べてみました。変わらない街並み。それぞれ見比べてみると興味深いです。
ルーヴル美術館
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